青年期の壱 | 緋の幻影

青年期の壱

むりやり高校を卒業(親父のゴリオシで)したものの特に目的も無く、とりあえず大学にでも
行くかと、女の子の多そうなところを物色し某私立大学に入学した。
其の時から人生の歯車がどんどん狂いだしたのである(すでに狂っていたのだが、本人は
気づいていなかった)

いきなり大学をくび(除籍)にされた、親父をたぶらかして授業料1年分の現金を手に入れ
ネオン街に寄付したのだ。督促状は何回か来たがその都度見つからないようにゴミ箱に捨てた。
その後大学に通うふりして遊びほうけていたが、ある日、下半身に力が入らず、わずかな段差で
つまずきころんでしまった、不規則な生活で体調が悪いためだと思い気にもしなかったが
次の日から真っ直ぐに歩けなくなりしょっちゅう転ぶようになった。
さすがにこれはおかしいと思い近所の医院で診察を受けたら、東北大学付属病院長町分院
脳神経内科(今は無い)を紹介され、首をかしげながらもとりあえず行ってみたらいきなり
入院!!
親父に連絡しようにも所在不明、金だけは持っていたので身の回り品を売店で購入しベッドに
横たわった。
夕方、お偉い先生を囲み4,5人のお医者さんがわけのわからない医学用語で会話をしていたが、
10分位でさっといなくなり、気持ち悪い静寂の中で4人部屋の3人の患者の視線が私を見つめ
ていた。生きているのか、死んでいるのかわからないようなドロンとした表情が不気味であった。
とりあえず よろしく! と挨拶したが、あ~、う~とかの音が聞こえただけで薬品の匂いと
ともに死神がうろうろしているように感じ、背筋が冷たくなった。

入院してから3,4日くらいは歩けたが、いつのまにか車椅子の生活に変わった。
その間、検査、検査の連続であったが1ヶ月過ぎても担当医から病名も教えてもらえず、そのうちに
寝たきりになり、トイレもベッドの上で用をたし、わずか1坪たらずの空間が生活のすべてとなって
しまった。

病名 「スモン病」

2ヵ月後やっと病名を教えていただいたが、希望は持てなかった。
治療不能の難病という担当医の説明にただうなずくしかなかった。

誤診という文字が新たな展開を引き起こし、12時間という大手術が行なわれるのはその後3ヶ月を
待たなければならなかった。


人気blogランキングへ