青年期の壱 - 二 | 緋の幻影

青年期の壱 - 二

入院生活も早や5ヶ月、日に日に体調が悪くなる状況で19歳の正月を迎えた。
松の内もあけた頃、脳神経内科から脳神経外科に変わった、6人部屋で病棟の一番端っこ、
脳神経外科の名前の通り患者は脳梗塞、脳腫瘍、脳出血などほとんど助からない人達ばかり、
昨日入院した人が夜中にはベッドが空になり、2日前に手術した隣の人は3日目に死亡、私の
斜め前の人は一言も口を開かず、つるつるに剃った頭に白いネットをかぶり眼を閉じたまま
であったが、その人のベッドもいつの間にか空になっていた。
いったい何人の人が私の目の前で亡くなっていったのだろう。

人間の生とはこんなに簡単に断ち切られてしまうものか、人生経験の少ない私は頭から毛布を
かぶり見えないふりをするだけだった。
悲しみも辛さも無い、ただ、頭の中にうっすらとしたもやが広がり何も考えられなかった。

秋葉先生という整形外科の先生も担当となり、又、地獄の検査が始まった。
アンギョグラフィーという検査で穿刺針を脊髄に挿入、白色の液体が脊髄を通過し、ある一点で
止まった、感覚の境目、へその真裏であった。

病名 「脊髄腫瘍」

直ちに手術、脳神経外科、整形外科、胸部外科の合同手術という大掛かりなものであった。
後で知った事であるが成功率10%(其の当時の医学水準では)というきわどい勝負であった。
そんな事情とは露知らずこれで退院できると単純に考えていたが、地獄のリハビリが待っていた。
これほどの辛い経験は初めてであった。リハビリの先生の顔が鬼のように見えた。

「先生、もういい、寝たきりでもいいから!」
「なにいってる、ここを乗り切れば歩けるようになるんだぞ!」

わずか20メートル位の距離を腕と指の力だけで壁際の凹凸に爪を掛けながら下半身を引き摺って
泣きながら歩いた、来る日も、来る日も。
中学校の時の同級生が何回か訪ねてきてくれたのが嬉しかった。
親父の顔を見たのはたった一度だけであった。