緋の幻影 -2ページ目

少年期の弐 - 五

茜色に沈んでゆく太陽が天高く流れている鰯雲の残滓を捉えた時、秋はすでに深い色に
染まっていた。
風の便りで離婚した母親が死んだのを知った。
年齢、誕生日、旧姓、実家などほとんどわからず、顔さえもろくに覚えていない、
たしかに中学校の1年生くらいまで一緒に暮らしていた期間があったはずだが?
かなしい人だ。
母親はどんな一生を過ごしたのだろう、幸せという言葉に縁があったのか、
それとも・・・。
その日からしばらく遊ぶ気も無くただぼんやりと自分の部屋でゴロゴロしていたが、
自分自身に問いかけていた疑問があった。
「心がよじれて、どこかに穴が開いているのではないか?」
親が死んでも特に悲しくもないし、嘆く事もない心の空虚さに寒々として鳥肌が立った。
唯一、救われた事は小学校(榴ヶ岡小学校)の入学式で手をつないだ私を見た母の
笑顔がすばらしく優しかった、この一瞬だけがいまだに胸に残っている。
かすかな想い出でもいい、消えずにいてほしい。
やわらかく風が立った。 「お母さん、ありがとう」

少年期の弐 - 四

高校2年生の春、第2回目の停学をくらった。容疑は不純異性交遊(今じゃなんの
ことかよくわからない)原因は女子高生と学校をさぼって花見をしているところを
補導された。弁当をひろげて酒は飲むは、女の子と怪しげな行為をしているはの最中
の現行犯、言い訳も何も無し。1ヶ月のお遊び期間を与えられた。
おかげさまで一段とナイトライフも充実し、遊び放題、絶好調!!!

そんな時にかぎって妙な胸騒ぎ?!
東京の叔父さんから電話がかかってきて、親父が警察に捕まり1ヶ月位帰れない
との事(おお~ これは嬉しい、ラッキー!)
と、喜んだのもつかの間、いつものようにタンスや引き出しに金が無い、必ず入って
いるはずの金が無いのである。
これは困った、親父がいないのは嬉しいが金が無いのでは遊べない。
 「う~ん どうしよう、やばい!」
飯などは近くの食堂や寿司屋でつけがきいたので不便はないが、遊び代がないのである。
これは初めての経験であった。
さあ~考えよう、どこかに金になりそうな物があるはずだ、床の間の日本刀(勿論警察
の許可証添付済)は無理、ましてや親父の商売道具?これはまずい。
同居していた女(一時的な仮の母親)は親父と一緒だし、いるのかいないのか存在感の
無い妹に金の無心も出来ない。
本格的に家宅捜索だ、あっちだこっちだと捜しまくった。
あった! 仏壇の下の引き出しの奥になにやら金らしき物。
 「なんだ、昔の金じゃないか!」
江戸時代の貨幣や明治時代の金貨など結構な数があった。
 「うん、まてよ一番町に古銭や切手を扱っている店があったな」
 「よし、売っちまえ」
ということで、後先考えず売ってしまい、当時(S42年)の金で10万円位が一晩で
ネオン街に吸い込まれた。

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少年期の弐 - 三

 高校生のガキが脂粉ぷんぷんたるクラブできれいなお姉さん達とじゃれあっていた
 時、静かに魔の手が近づいていた。
  「お父様のボトルがあるわよ、ブランデーのすっごくいいやつ」
   「いいよ、俺はジョニ黒をキープする」
  「あら!高いわよ、お父様のにしたら」
   「だめだ、俺は俺なんだから」
   「わかったわ、おこらないで、ね!」
 調子に乗ってジョニ黒の水割りなんぞを飲みまくり、間違ったふりしてお姉さんの
 太ももを触っていた時、右肩をたたくやつがいた。
  「なに?」 ポンポン
   「なんだよ、ゲッ・・・お、お父さん!!!」
   「なにがお父さんだ!この馬鹿たれ、おまえなんでここにいるんだ?」
   「社会科見学・・・・」
 いきなり頭をゴーンと殴られ、眼から火花が出た。
   「ふざけたこというなガキが!金もないくせに、あーん」
   「金は持っている、小遣いをためていたんだ」(実は親父の金、タンスや引き出し
 などに無造作に入れて忘れてしまう、私にとっては都合の良い癖)
   「しゃーない、少し飲んだら帰れよ。ママ、このガキが来たら俺につけておいて
     くれ」
   「えー、えーわかったわ」
 ということで晴れてネオン街デビュー、高校1年生の秋だった。



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少年期の弐 - 二

高校生活はこれぞ軟派の見本ともいえるようなメチャクチャな生活だった。
 なんせ、家にはほとんど帰らない(親父も同様だからお互い顔を合わせることが
 ほとんどない)学校にはろくに行かず、昼間はGFのM子の通っている女子高の
 バレー部の部室でごろごろしていたが、こんな事は必ずばれるものである日突然
 女子高の先生と私が通学(?)している高校の先生5,6人に囲まれ、さんざん
 おこられたあげく目出度く停学一ヶ月の処分。
 これは嬉しかった、どうどうと遊べる、ナイトライフのスタートだ!!
 早速、昼間は寝ていて夕方頃になるとこっそり買っておいた大人風のシャツなんぞ
 を着込みネオン街にGO!
 金は財布にパンパンつまっていた(親父の金)
 さて、きれいなお姉さんがうろうろしている国分町に来たものの、ガキの悲しさ
 どこに入ってよいかわからない、ふと眼を上げると葵の紋が入ったクラブがあった。
 ええい、行け、行け、将軍様のクラブだ!
 お、ピアノの生演奏、大人の世界だ。
  「いらっしゃいませ、あら、学生さん!?」うあー いい女
  「いいえ、社会人ですけど」
  「あら、どこかでお見かけしたような気がするけど」
  「そうですか」
  「どうぞ、こちらにおかけ下さい」
  「・・・・・」
  「ねえ、順子チャン、こちらのお客様セーさんに似ていない?」
  「あ、ほんと、セーさんそっくり」
  「失礼な事お聞きしますけど、お父さんの名前セー次郎さんと言わない?」
  「う! そ、そうですけど、なにか?」
  「わー うそ、セーさんの息子さんですって」
 な、な、なんとよりによって親父の行きつけの店だった。
 悪い事はできないもんだ、ああー いやな予感!?


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少年期の弐

そんなこんなの中学生時代が終り、花の高校生活だとはりきっていたとたん
 又、又 親父が女を連れてきた。気が強そうでいやな感じがしたが、話をして
 みると結構さばけていて面倒見も良かった、名前なんてったっけ!?
 なんせ、5人も6人も女が変わると名前は忘れるし、顔もよく覚えていない。
 何代目の女なのかの時系列もあやふやで、それぞれが母親を名のったようだが。

 本当に馬鹿な話。

少年期の壱 - 四

 極道親父が性懲りも無く女を連れ込んできた、40歳前後の着物が似合う
 おとなしい女だったが名前は忘れた。
 今回は同居せず一週間に2回くらいの間隔で我家にご登場されたが、それも
 半年くらいで来なくなった。
 
 たしか、その年当りから自分の未来にいやーな予感を感じはじめていた。
 事実、十八歳頃からずばり的中するのだが!!

 「おまえ、女ができたんだって?」
 「え!何の話」
 「かくすなよ、別に悪いと言っているわけじゃないんだから、一発やった
  のか?」
 「そ、そんなことするわけないよ」
 「何あわててんだ、おまえ怪しいな!子供が子供作ったらしゃれにもなんねえ
  からな、それだけだ」

 私は事実同級生の朋ちゃんとそれに近い行為をしていたのだが、なんせ
 中学3年生、知識では理解していたつもりでも実戦の経験が無いのではっきり
 いってやりかたがわからなかったのである。ようするに、行為に至る前に
 すでに興奮の極みにあり、あっと言う前に一丁上がりという結果であった。
 毎日、性行為に近い事を朋ちゃんにせっついたら逃げられたが、運良く高校生の
 お姉さんと知り合ったので朋ちゃんとはさよならした。お姉さんにはじらされて、
 じらされて結局あっちこっち遊びまわりお金を使って1ヶ月くらいでさようなら。
 期待してたがなーんにも無かった、悪い女に引っかかった第一回目。
 
 筆おろしは完了していない。



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少年期の壱 - 三

 6年生の一年間はどう過ごしたのかほとんど覚えが無い、日光に修学旅行に行ったはずだが何も
 想い出さない、相変わらず父が家にいなかった事はかすかに覚えている。
 ああーそうだ、夏休みに短期家出したんだ、タンスにあった有り金(10万円くらいか?)を持って
 電車に乗ったがどこをどう行ったのか定かでない、たしか親戚の家に二泊して戻された。
 お金はほとんど使ってなかった、というよりもどう使うか解らなかったというのが事実だろう。

 「おい、ビール飲んでみろ、今日から中学生だ、昔でいえば元服だ遠慮することはねえ」
 「いいよ!」
 「やかましい!物事はけじめだ、一杯やれ、形だけでもいいんだ」
 中学校の入学式(もちろん一人きり)からもどった夕方の出来事。
 この日から私がななめに或いはジクザクに日を重ねてゆく記念(?)の第一歩だった。


 風の音に秋の気配を感じる頃、下半身に春(或いは強烈な太陽が輝く夏か?!)が訪れた。
 しかも突然脳を直撃し、その快感と不思議な感覚にどう対処してよいかわからずただ驚くばかり
 であった。

 夜中にフト眼を覚ますと右手がペニスをにぎりしめていた、こりゃなんだ!と思うほどかたく
 膨らんでいてあわててトイレに駆け込んだとたん、白い液体がどくどくと噴出し私は眼を丸くして
 我が息子をしげしげと見つめていたが、まるで別の生き物のようにピクピクと上下に痙攣していた。
 と同時に今だかつて味わった事の無い気持ちよさに呆然としていた。

 「病気だ!」

 おもわず声がでてしまい、パンツもろくにあげず布団に駆け込んだ。
 さあー それから眠れない、なんだ、なんだ、なんなんだー
 今、想いだすと実に幼稚な事だがその時は死ぬかと思うほどの衝撃であった。

 眠れぬ一夜があけ学校に行ったが、同級生皆に知られているような錯覚に陥り視線が妙に気にかか
 った。特に女子の目付きがいつもと違うように感じた、中学校2年生、心と身体がばらばらな
 アンファンテリブル!!


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少年期の壱 - 二

 「あなたがヨシユキ君?」
 「ハイ」
 子供の目から見ても結構いい女が訪ねてきた、歳の頃は37,8歳位か?よく解らなかった。
 「お父さんから何か聞いていない?」
 「え?」
 「今日からあなたのお母さんになるのよ、勝子というの、仲良くしましょうね」
 「は?僕にはお母さんがいますけど」
 父は翌年の1月に戻ってきたが家にいたのはほんの2,3日で何も言わずに又消えた。
 女が訪ねてきたのは父が消えてから1週間後の事であった。
 
  「小遣いいるか?」2週間後にいきなり帰ってきた父の第一声、人相の悪いおじさんたち
 が三人父の後ろで押し黙っている。
 「いらない・・・」
  「勝子と仲良くしてるか」
 「・・・・・」
 「まあいいか、このおじさんたちは家に暫くいるからな、顔を覚えておけ」

 父の職業はなんなのか、おぼろげながらもまともな仕事ではないとは気づいていた。
 近所の人たちから恐れと軽蔑が混ざった斜めの視線に私は嫌悪感と共に自分も普通
 では無いことを感じながらもなんとか周りに溶け込もうとしたが無駄だった。
 
 父の職業(職業というのか?)は右翼、なんとか党の幹部、私が知っている限りでは別荘への
 お勤め歴5回、実際はもっと多かっただろう。「義理と人情」イコール「はちゃめちゃな生活」
 こんな環境の中で私は人の道からずれていった、自分でも気づかない間に。
 
 父、勝子という女、2歳下の妹、私 のぎくしゃくした生活が1年ほど続いたがある日突然女が
 いなくなった、私はホットする気持ちとみょうな寂しさが同居する落ち着かない日がしばらく
 続いた、小学校5年の春だと思う。友達は一人もいなかった。

 待ちに待った運動会(実際は行きたくなかった)
 「おい、12時に弁当が届くからな、豪華だぞ」父のがなり声を背に玄関を出たが足が重かった。
 競技も進行し、ついにお昼の弁当が届いた、二段重ねのずしりとした重さになぜか涙がでた。
 同級生とその家族の話し声が拡声器で増幅されたように耳にワーンと響き、そして音が消えた。
 私は弁当を足で踏みつけ近くのゴミ箱に捨て運動場の隅にしゃがみこんだ。
 名前を呼ぶ声が聞こえたので顔を上げると同級生の秀ちゃんが手を振って近づいてきた。
 「ヨシユキ君 おにぎり食べない、お母さんが作りすぎたんだよ」
 「いいの」
 「食べなよ、ほら二つ」
 美味しかった、本当においしかった。梅干が入ったおにぎり二つ、記憶から消えない。



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少年期の壱

衣擦れのような風のそよぎに落日の太陽が鮮やかな色を写し木の葉が一瞬驚いたようにきらめく、
遠い山並のむこうに朱をはいた雲が薄墨色に衣替えした時、ふわりと夜が訪れた。流れるような刻の
移ろいに瞬きする間もなく終焉を迎え又始まる。

 という書き出しは作者のかっこつけで本当は自分自身のありふれた過去の出来事である。というよりも
多少悲しみの伴った馬鹿げた悪事の数々というべきか、ともあれ出発してみよう。
 
 突然5、6人のおまわりさんが家の中になだれ込んで来た。
 「ヨシユキ、この書類を裏庭で燃やせ、すぐだ!」
 父の怒鳴り声と同時にひとたばの紙が私の両手に持たされた。

 大急ぎで台所の引き出しを開けマッチを見つけると裏庭に走りこんだ。
 マッチを持つ手がふるえ、3本目でやっと火がついた、白い煙の後にパッと炎がでた。
 
 私の耳には油蝉のうなるような鳴き声しか聞こえなかった。
 ピンクの百日紅の花びらが緑の芝生に毒々しく色を染めていた。
 
 その日より我家から父の姿が消えた。

 昭和33年、小学校4年生の夏だった。
 
 私はタンスの中に無造作に入れてあったお金を台所の流しで燃やした、
今の貨幣価値で百万円位あっただろう。
父の変わりにお金が残ったのが憎かった。

 長期入院していた母は家庭という絆からすでに切り離されていた。
後に知る事になるが、その頃すでに戸籍上の母では無かった。


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